子どもを産んだら離婚してはいけない

僕と僕の兄弟は、幼いころから両親の離婚を望んでいた。具体的に言うと、父がいなくなることを望んでいた。

しかし母は離婚しなかった。理由は子どものためだった。親を失った子は様々な場面で社会的に不利益を被るので、それは避けなければならない。母は常々そう語っていた。

それが当時の社会を本当に正しく捉えていたのかどうかは、僕らには少々疑わしい気もしていた。母の考えは古いのではないかと感じていた。しかし母はこの矜持を貫き通した。結局母が離婚を決断したのは、兄弟の中で唯一大学に通っていた僕が就職先を決めて大学を卒業した直後のことだった。

僕は彼らの離婚が成立したことを、赴任先の名古屋で知った。そのとき僕に襲いかかってきたのは、予想だにしていなかった大きな喪失感だった。

僕は彼らの離婚を、10年以上ずっと望んでいた。その願いがついにかなったのだ。普通に考えれば嬉しいはずだった。なのに実際にやってきたのは、大きな悲しみだった。

それが、なぜかは、わからない。ただ、そういうものなのだ、ということを思い知った。


数年後、会社の明るい同僚が、飲み会の席でぽつりとこう漏らした。席の話題が離婚に及んだときだった。

離婚なんて、しちゃ、いけませんよ…

彼は母子家庭で育ったと聞いたことがあった。なぜ母子家庭だったのかは知らない。だがこの一言を漏らした彼の様子には、僕らの酔いを吹き飛ばす重みがあった。特に、僕自身にはさらに強く響いた。


数十年前に比べ、離婚は大幅に現実的な選択肢になった。それ自体はいいことだと思う。

だが、子どもがいるとなると、話は別だ。子どもを持ったら、親は、絶対に絶対に離婚してはならない。子どもが成長して大人になったり巣立っていったとしても、両親は離婚してはならない。なぜなら両親の離婚は、年齢にかかわらず子どもにとって堪え難い出来事だからだ。僕は自分の経験から強くそう思う。

それでもなお離婚しなければならないという事態はあるのだろう。だがその場合、離婚する親には、子どもに対して決して消えはしない業を一生涯ずっと負うことになるのだという覚悟を持ってほしいと願う。

だからそもそも結婚は、いや、子づくりは、慎重に。その点で僕は、できちゃった婚など、もってのほかの最悪の手続きだと思っている。

肉親の死による喪失感の話

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CL 準決勝で、チェルシーのフランク・ランパードが PK を決めた。彼は先週にお母さんが亡くなったため、直後にあった重要なリーグ戦を休場しており、これが復帰一戦目だった。

ゴールを決めたランパードは、天を仰ぎ指差しながらコーナーフラッグに向かって走り出し、腕につけた喪章を外してそこにしばらくうずくまった。

僕の父は数年前に死んだ。彼はまれに大金を稼いだ時期はあったが、それだけの男だった。僕は大学卒業直前に家出し、直後に両親は離婚した。

家出以後、僕は彼には会っていなかった。当然、彼に対しては、悪い感情しか残っていない。

しかし彼の死の報せを受け取ったとき、僕には大きな喪失感が押し寄せてきた。数日間は抜けがらのようになってしまった。

肉親の死というのは、それがどんな人物であったとしても、大きな喪失感を伴うものなのだと、僕は初めて知った。

僕でさえそうだったのだ。フランク・ランパードが抱えている喪失感は、どれほど大きいものであるか。
それを思って、テレビの前で僕は泣いた。